「過程」
「過ぎた」「行程」、といったところでしょうかね。
「過程が大事だ!」なんてよく聞く。
「大事」なのかもしれないけど、
結局結果で判断されることの方が多い。
「過程は大事」よりも「過程は面白い」の方がなんだか納得するんだけどなぁ。
さて、意味を。
「経過したみちすじ。物事の進行・発展の経路。プロセス。」
過ぎたこととはいえ、
「どうやってココにやってきたのか?」というのを尋ねるのは
面白い。
今、同じ場所に立っていても、
ぜーんぜん違う道を通ってやってきた!というのを聞くと
けっこうびっくりすることが多いんですよね。
「え?そんな近道があったの?」とか
「途中にそんな森によれたんだ?」とか
「そんな険しい道を通って来たのね!」とか
「なんでこっちに来ちゃったの?」とか。
道がぜ〜んぜん違ったのに
同じ場所にいるって、
すごい縁です。
意味の中でちょっと気になったのは
「進行・発展」の経路、となっていたこと。
進行・発展していなければ
「過程はない」とみなされるのか?
「みちすじ」「経路」というからには
前に進んでいなければならない気も・・・確かにします。
その方が、絵的に浮かびやすいからね。
でも、じーーーっっとしていても
たとえ後退していても、
そこに「過程」という道はできているんだろうなぁと思うんです。
じーーーっとしてたり、後退していた時の過程って
なかなか人に話すのが難しいんですけどね。
「なにしてたの?」なんて言われても
具体的な「なに」が言えないと伝わらない気がしちゃいます。
で、伝えるのもめんどくさくて「なにもしてませんでした」
みたいなことを言っちゃったり。
ホントはなにもしていないわけじゃなくて、
自分でも把握し難いドヨドヨしたものを
吐き出したり、並べ直したり、かき混ぜたり、捨てたり・・・
けっこう忙しいもんなんですけどねぇ。
最近、こういうなんだかよくわからない「過程」というものに
興味があります。
入試や就職活動での面接でしゃべるような過程ではなく、
その過程を踏みながら動いた感情の過程、みたいなもの。
実際に行動を起こしたりして動いているよりも、
うーんとたくさん頭の中の方が動いていると思うんですよね。
それって、これからのことに
確実に影響してくるものだと思うし。
難しいんだけど、
そういうの、いろんな人に聞いてみたいなぁって
思います。
なんだか後ろ向きな行動のようにも思えますが、
過去の「どう思っていたか」「どう思ったか」を振り返って探るのって、
きっとこれからの考えの基盤になるように思うんですよね。
自分の考え方というのは、そう簡単に変えられないけど、
人が想いを重ねてきた過程を聞くのは
きっと考え方の幅をひろげるきっかけになるように感じます。
いろんな人と話がしたいなぁと
改めて思う今日この頃でした。
明日は、「話す」にしてみましょう。