2012年4月22日、日曜日。
福島県いわき市にある「いわき市立美術館」へ
「光あれ!河口龍夫ー3.11以後の世界から」を見に行った。
展覧会をひとつ見るために
京都から福島へ行く、ということを
おかしなことだと思う人もいるだろうか?
でもね、この展覧会は見ておかないと
一生後悔するって思ったのよ。
河口龍夫氏は「さぁこれから作品を作るぞ!」という風に
作品を作る人ではない。
毎日、歯を磨くがのごとく、
作品を作り続けている作家である。
常に、「アーティスト」として生きている人だ。
アーティストとしての特殊な目線と特殊な技術を持ちながら、
「この人は私と同じ世界を生きている」と思わせてくれる
あたりまえの人間らしさとやさしさを持っている河口氏の作るものは、
いつも、圧倒的な包容力を持って私を包んでくれる。
心地よさと共に、突然神聖な場所に立たされるかのような怖さをも感じる。
そんな河口氏が、3.11以後の世界で作り出したもの。
少し怖くて、すごく、興味があったのだ。
実際に作品たちの前に立ってみて、
やっぱり来てよかったーーーっって思ったよ。
1コ1コ想いがあるのだけれど
ここではその中のいくつかだけ、紹介を。
2011年3月11日から4月10日までの1ヶ月間の新聞紙を
束にしたものが軸となった作品「鎮魂の3月」は、
悲痛なる情報の重さと氏の祈りがつまっていた。
「鎮魂の4月」「鎮魂の5月」・・・
その12点の連作は
まさにこの1年、河口氏が寄り添った月日の想いを感じるものだった。
ひと月ひと月を縛り、閉じ込めていくというその行為を
それぞれの作品と向きあいながら
私も改めてやってみた。
もちろん頭の中でだけだけどね。
なんだか少し、救われたような気持ちになった。
きっと、河口氏がそうやって作った目の前の作品が
凛とした姿でいてくれたからなのだと思う。
「失語の祈り」と題された新聞を用いた作品は
さらにその1日1日に寄り添うような作品だった。
河口氏の中での変化がそこに現れてきている。
強靭な作家でありながら、揺れ動く人間なのである。
作品の中の奥さまやお孫さんのものだという手形、足形を見て
自分と、自分の身近な人と、
見ず知らずの人と、ゆっくりリンクしてくるような感覚になった。
その新聞の中にいる人は
「誰か」にとって、「私にとってのあの人」なのだ。
「真珠になった種子」という作品は
1つの作品でありながら
700個もの貝殻と種子で構成されていた。
すでに死んだ貝である貝殻に、ひとつの種子を乗せることで
未来ある1生命体を作り出している。
今回の震災でのたくさんの死に対して
決して、穏やかに受けとめることはできないのだが、
なんだろうなぁ・・・
なんていうか・・・
うまく言えないんだけど・・・
この作品を見ることで、
「死」そのものに対しての少し肯定的な受けとめ方を教わったというか、
「死」は単純な「終わり」ではないというような気持ちになったというか。
河口氏の行ったひとつひとつの仕事で
「死」というもののまわりにつきまとうモヤモヤとしたものを
やさしく拭って昇華させてくれたように感じられた。
河口氏本人がめずらしく「ちょっとよくわからない」と説明した
「マッチ箱の中の昆虫の足」という作品。
震災後、アトリエに落ちていた小さな昆虫の足を
「ゴミ」だとは思えず、捨てられなかったのだという。
「よくわからないけど、捨てられない」
その自らの感情にそって、
丁寧に拾い上げ、マッチ箱に納めたというこの作品は、
常に論理的である河口氏「らしくない」作品かもしれない。
しかし、その小さな感情の変化をここに残したというのは
さすがだと思った。
自分の感覚と自分の視線を信じてきた河口氏「らしい」作品だと思う。
「戸惑い」までも、表現となりうるのだ。
今回の展示の中で、
私が最も気持ちよく、晴れやかに見ることができたのは
1階ロビーに並べられた「貝の未来」だった。
チラシや図録の表紙にも写真が使われているもの。
「わぁおっきな貝〜」
そう言いながら近づき、作品を愛で始めた瞬間
「あ、違う」と気づいた。
河口氏が海岸で拾ったという実際の貝は
さして大きなものではなかった。
そこにあったものはタイトルの通り、「貝の未来」だったのだ。
体の中で明るい何かが膨らむのを感じた。
だってそこに、静かで美しい「未来」があるんだもの。
貝は、貝のまま、ゆっくりと層を増やし、
様々な色を持ちながら美しく大きな貝になっていた。
そう、焦らなくてもいいんだ。
未来は、こんな風に重ねて行ける。
それぞれの色を持って、大きくなって行ける。
この作品は震災後半年以上経ってから作られたものだそう。
昆虫の足を拾い上げ、自らの手を見つめ、新聞紙に向かい合い・・・
様々な作品を作り続けながら、たくさんの時間をこえて、
この作品にたどり着いたとのこと。
この作品を見て
改めて、すごいアーティストなんだと感じた。
作品を見せることで
光を与えてくれるのだから。
そして2011年12月。
忘れられない2011年最後の月に
このいわき市で、2011年の闇を閉じ込めた「DARK BOX2011」。
中には特例的に
震災と原発事故に関する記事が「闇への鉛の封書」として
納められているという。
これまでに作られてきた「DARK BOX」にも
えも言われぬ重みを感じてきたが、
今回のものはまた特別である。
今後、とても重要な作品になることは間違いない。
最後にもう一つだけ紹介しておきたいのが
「太陽と描いた」シリーズについて。
「太陽と描いた点」「太陽と描いた線」「太陽と描いた未完の円」・・・
虫眼鏡を使って太陽と共に描いた作品。
「もう一度、太陽と仲良くしようと思ってね」
河口氏はさらりとそう口にした。
とても軽やかで、真っ直ぐで、
深い言葉だった。
仲良く、したいなぁ、私も。
震災後1年を経た今、
いわき市で河口龍夫氏の作品の前に立てたことを
私は誇りに思います。
すばらしい作品を
すばらしい展覧会を
ありがとうございました。
今また作り始めているという新作に会える日を楽しみに♪