「選択」
選ぶことすらできないこと、ってのもありますが、
何かとね、人はこの「選択」をしながら生きていますよね。
さて、1番。
「えらぶこと。」
「適当なものをえらびだすこと。」
「良いものをとり、悪いものをすてること。」
はい。
これまでにいくつくらい、
この「選択」という行為をしたでしょう?
ただ、それが「適当」だったのか、「良いもの」だったのか、は
謎ですけどね。
今朝だけでも
「起きる」「ニュースを見る」「ごはんを食べる」「ハミガキをする」
「服を選ぶ」「化粧をする」「鞄をもつ」「靴をはく」「家をでる」
「歩く」「コンビニによる」「水を買う」「会社に行く」
「そうじをする」「パソコンをたちあげる」etc・・・
どれも、「いつもやっていること」なわけですが
常に「やらない」という選択肢もあるんです。
「いつもと違うことをする」という選択肢もあるわけです。
例えば「起きない」を選ぶとすると・・・
まず同居人さん。怒るかな?心配してくれるかな?
いつも焼かれるパンの枚数は1枚減るよね。
いつも寄るコンビニの売上げも私一人分減るわね。
会社でいつも私がかけている掃除機、
誰かかけてくれるかなぁ?
私のお仕事、誰か代わりにやってくれるかなぁ?
あ、もちろんこのblogも更新されないので、
見に来てくれた方、心配してくれたりするかしら?
今日の夕方からの予定もダメになっちゃうなぁ。
etc・・・
そう。選択ひとつでいろーんなことが変わっちゃうわけです。
「あの時のあの選択は間違っていたのか?」
そんなこと、たまに考えちゃったりもするけど、
「あの時のあの選択」が違っていたと考えると・・・
現在の状況がまーーーっったく違っているわけで。
想像もつかない。
たとえばあの高校、あの大学に行かなかったとしたら?
あの先生に、あの友達に会わなかったとしたら?
美術以外のことをしていたとしたら?
京都にこなかったとしたら?
今の会社に入社しなかったとしたら?
この仕事を続けなかったとしたら?
このblogを始めていなかったとしたら?
とにかく、今の私ではないことは確か。
ホントにね、
たーーーっくさんの小さな選択、大きな選択によって
ここにたどり着いているわけでして。
おかしなものです。
2番。
「選択科目の略」
あーなんかいいですね。選択科目。
そういうの、社会人になっちゃうとないからね。
大学時代に必修以外でとったこの選択科目たち。
うちの大学、総合大学だったんでね。
ホントにいろんな授業を受けることができたんです。
もちろん、
芸術の中で違う専攻の科目をとったのも面白かったけど、
比較文化学類のイギリス文学史とか、
人間学類の造形心理学とか、理学療法なんて授業もとってた!
社会学類の憲法の授業とかもとったなぁ。
今となっては、もーっといろいろ受けておけばよかったと
ちょっと後悔しているくらい。
選択科目というのは楽しいものなのだ。
ま、とにかく「選択できる」というのは幸せなことです。
もうね、選択の余地なんてない!ってなことも
たくさんあるわけですからね。
その選択したものが「適当なもの」か、「良いもの」かは
うんと後になってみなきゃわからないこと。
とにかく、その時に、
自分に素直に選んでいけばイイんだと思います。
たまには間違えるよ。
でもま、その間違えが次の新しく楽しい選択肢を生むかもしれないし。
自分自身の行く先は大きく変わるかもしれないけど、
それで地球がまわるのやめたりはしないはずだから。
それなり〜に、なんとかはなる。うむ。
とりあえず、
自分の中での選択肢をもっともっと
広げていけたらいいな〜と思っております。
道はいくらでも増やせるはず。
えーっと明日は
「間違える」にしてみようかな。