通勤中にちょろりちょろりと読んでいて
昨日やっと読み終わった。
(相変わらず本を読むのが非常に遅い)
みすず書房さんからこの5月に出版された
「ヨーゼフ・ボイスの足型」。
著者は作家であり、横須賀のカスヤの森現代美術館を開設した
若江漢字さんと、
世田谷美術館館長であり、美術評論家の酒井忠康さん。
若江漢字さんがドイツ滞在中に
ボイスの足型を石膏取りしたことをひとつの核として書かれた本。
今年3月の終りに
HAKOBAKA DRAWINGROOMで開催された
「ヨッちゃんの部屋」で
ボイスがテーマとなって出てきて以来、
なんだかずっと、ボイスのことが
近くをふわふわ漂っている。
もともとそんなに好きではなかったし、
いろいろ地味に知識を得てきた今も
なんていうかなぁ・・・
すーごく興味深いんだけど愛せない、そんな感じの存在。
少し、ボイスのことを勉強した後だったから
この本はなおさら面白かった。
若江さんのボイスへの想いや感情の動きがよく伝わり、
そして酒井さんとのやり取りも
ただの仲良しではない深さがあり興味深い。
そして何より、ボイスという人がどういう人なのかを知るのに
わかりやすい本だと感じた。
ドイツに、作品見に行きたくなっちゃうね。
それにしても、
この本のタイトルでもあるんだけど
ボイスの足型、というものが残されているって
ホントに面白いことよね。
何様だーと自分に向かって突っ込みつつも、
「若江漢字さん、でかした!」と思っている(笑)
足型って、まぁただの「型」だと言ってしまえばそれまでだけど、
なんだか、その人の存在を示すものだからね。
その足で、立っていたんだもの。
その重みで、その量感で、形づくられたものなんだもの。
「ヨッちゃんの部屋」で松本夏樹さんが
「近代主義とは何だったのか、ということを見直した時に、
ボイスという存在は限りなく重要なヒント」
というようなことをおっしゃっていたのが
頭によみがえる。
311以後の日本で、
原発についてや憲法改正について、
自らの仕事や生活について考える時に、
ボイスがアーティストとして問うたことを
もう一度考えてみるのは必要なことかもしれない。
自分の足下、人間の足下を見直すべき時期、なんだろうね。
横須賀、カスヤの森現代美術館へ「ボイスの足型」
いつか眺めに行かなくては!
プロメテウスの火を消す勇気が、
はたして人間にあるのか。
まぁその前に、無駄な電気、消したほうがいいけどね。