「今日の後に今日なし」
あたりまえのこと。
でもわりと意識が薄いこと。
さて意味。
「今日という日は再びは来ない。
時を大切にせよという意。」
今日は今日しかないなんて
あたりまえのこと。
だけど明日になれば、その明日が今日になるわけで、
なんとなく代わり映えしない毎日を
「またやってきた今日」のようにとらえてしまうことって
多いんじゃないかしら?
昨日と今日、今日と明日はぜんぜん別物なのに。
高校生くらいからかなぁ?
私はずーっとスケジュール帳をつけていて
その日あったことなんかを書き込んでいた。
日記並みにみっちり書き込んでいた時期もあるし、
ちょっとうれしかったこと、ちょっと哀しかったことを
ものすごくシンプルに書いている時期もある。
学生時代って
毎日、ホントに違っていた。
今見ても笑っちゃうくらいに。
若いってすごいなーって思う(笑)
ここ数年はというと
その日の夕食についてのメモを書いている。
誰とどこで食事したとか。
どんな料理を作ったとか。
まぁ、見直すと淡々としたものなんだけどね。
でも、自分の中では
それを見るといろいろ思い出す。
「これ食べたとき、こんな話したなー」とか
「この日は帰りが遅くてバタバタとこのお店に入ったんだなー」とか
「この日は体調わるかったんだよねー」とか。
ごはんのことでいろいろ思い出すなんて
食い意地がはっていることの証明のようなものだけど(笑)
私の中ではとても大事なことなのよね。
今一緒に住んでいる同居人さんとは
おだやかなつき合い始めじゃなかったこともあって、
いつも「この人とはあと何回一緒にごはんを食べられるんだろう」と
妙な不安感がつきまとっていた。
今もそれは変わらない。
だから、メモっちゃうんですね。
それで、毎日違う日々をちゃんと重ねているんだと確認しているみたい。
日々、そんなに大きな事件がある必要なんてないと思うけど
朝起きたり、ごはん食べたり、誰かと話したり、
いろいろ考えたり、ぼーっとしたり。
ぜんぶ二度とない特別なことだと思いたい。
だらしないことや、無駄なことや、イヤなことも含めてね。
二度とやってこない今日、
なにしましょかね?
なにを想いましょかね?
今日のメモを見て
未来の私が
「わりとイイ日だったな」って思える日になるといいな。