「見て見ぬ振りをする」
これはねぇ、人へのやさしさでもありながら
自分へのやさしさだったりもする
面白いものなのです。
さて意味を。
「実際には見ても見なかったように振る舞う。
また、きびしくとがめず見逃してやる。」
見てるのに、知ってるのに、
「言わない」「行動しない」ってのは
なんだかずるいような気がしますよね。
「きびしくとがめず見逃してやる。」なんてのも、
きびしくとがめるべきことならちゃーんととがめるべきであって、
結局は自分がめんどくさいからでしょ?
なんて思っちゃう。
「めんどくさいから見なかったことにしよー」ってのが多いんじゃないかしら?
確かにね、見ぬ振りをするほうがイイという場合もある。
例えば・・・
ある人が何か失敗しちゃったり、恥ずかしいことが起きたりした時、
その人自身がちゃんと気づいている場合。
見ぬ振りをしてあげることがやさしさだったりもします。
関西人だとつっこんでくれた方が楽〜ってな場合もあるけど、
「わかってるからほっといて!」ってなことも多いからね。
「こりゃそっとしとこう」or「つっこんであげた方が笑って終われるかな?」
このあたりの判断が必要というわけです。
これが「その人自身が気づいてない時」ってのが難しい。
これねぇ、誰かが上手に言ってあげるべきなんです。
早く言ってあげないと、その失敗を、その恥ずかしいことを
長時間引きずることになりかねないからね。
しかしねぇ、けっこう迷うんですよ・・・
どういうタイミングでどんな風に言ってあげればいいのかって。
あと「もしかしてわざとか??」なんてのもあったりしてね・・・
言って怒られたらヤダなぁーなんてのもね・・・
「間違ってますよ」「なんかついてますよ」「パンツ見えてますよ」
スマートに、上手に伝えてあげられる大人になりたいものです。
そうそう、その間違いが「危ない」って時は
ホント早くいうべきよね。
高校生の時、電車1時間ほど乗って通学してたんですが
高松から徳島の阿波池田まで行く古〜い車両にたまに乗ることがあって、
ドアがガチャンと内側に折れ曲がって開くというタイプのものだったのね。
ちょっと帰りが遅くなった時のこと、
なーんとなく車内がざわざわして
みんながチラチラ見ている方向があったんでのぞき込んで見てみると
そのガチャコンとドアが開くところで酔っぱらいさんが寝ていました。
それ、次の駅ではさまれちゃうじゃん。
危ないじゃん。
まーさーに見て見ぬ振り集団。
行きましたよ、まだウイウイしき女子高生のワタクシが。
「ココ、はさまれちゃいますよー」と酔っぱらいさんをゆっさゆさ。
なんとか移動してもらってホッとすると
その見て見ぬ振り集団は今度私を見て見ぬ振り。
こんな大人にはなるまいとしみじみ思ったのを記憶しています・・・
でもまぁ・・・それでからまれたりしたらヤだもんね。
とはいえ、ちょびっと頑張ってでも動ける人でありたいものだ・・・
車掌さんに伝えに行くーくらいできるはずだもん。
まぁね、大して害がないような場合や
ホントにめんどくさいだけの場合はいいと思うのよ、見て見ぬ振り。
すべてに対応なんてできないからね。
でも、なるべくなるべく、
誰かにとってそれがよいことになるのであれば
見ぬ振りなんかせず、伝えてあげられる人になりたいね。
見て見ぬ振りしたくなるようなめんどうなことを
スマートに解決できる大人に!なれるといいな。なっかなか難しいけどね。