「邪念」
「よこしまな思い」
「不純な考え」
「みだらな情念」
この3つの意味を書いて
なんだか笑っちゃったんですけど、なんででしょう。
そうそう、
「邪念」の「邪」、一文字で「よこしま」とも読むんですよね。
大学時代、ストライプをつかった作品をよく作っていたことから
担当教官に
「作品はよこしまでも、よこしまな人間にならないように」
と言われたことがあります。
はい。
おかげさまで
まぁ斜め横に行くくらいで納まっているのではないかと。
「よこしま」と「不純」ってのは、
まぁ「正しくないこと」「純粋でないこと」
ですよね。
それを考えちゃうことが「邪念」だとすると・・・
そんなに悪いもんじゃないかもしれません。
「正しくないこと」「純粋でないこと」を考えたことがない人に
「正しいこと」や「純粋なこと」がわかるはずがない。
それをするかどうかはまた別問題。
もしかしたら
その「邪念」をつきつめて考えたことがない人の方が
やらかしちゃうんじゃないかと
最近思ったりします。
ちょっとした「悪い考え」「よこしまな思い」「不純な考え」が
ふわっと浮かぶことって誰にでもあるんじゃないですかねぇ。
その時に、「もしそうすると何がどうなるのか?」について
たまにはガッチリ具体的に考えてみるのもイイんじゃないでしょうか。
かえって、なにが悪いのか、どんなイヤなことが起こるのか
わかるから。
すーんごいマジメな人や
若く純粋であろう人が犯罪を犯しちゃったりしてるのって、
この邪念に対しての考えが浅いからじゃないのかなぁ?
「この考えは正しくないから」と邪念をすぐ切り捨てちゃう前に、
「なんで正しくないのか」「なにがいけないのか」「なにが起こるのか」
それをしっかり考えたことがあれば、
突発的に「正しくないこと」をしてしまうことは減るんじゃないでしょうかね。
ま、それだけではないんでしょうけど。
「邪」ではなく「邪念」であることに救いがあるような気がします。
そうそう「みだらな情念」ってのもありましたね。
最近、東京都の条例で児童ポルノの規制強化だとか
非実在青少年だとかが話題になっていますが・・・
これ規制したところで
どうにかなりますかねぇ?
もちろん
そういうものからおかしな考えにつながることが
あるっちゃあるんでしょうけど・・・
みんながみんな、
みだらな情念をみだらな行動に直結させちゃうわけじゃ
ないですからねぇ。
規制をかけることで
「邪念」がただの「邪」になってしまうことの方が
なんとなく怖い気もするのですが・・・
どうなんでしょうかねぇ・・・
邪念そのものが良いものだとは思いませんが、
たまには向き合ってみる機会も
必要かと思います。
明日は「念」を
調べてみましょうかね。