「イメージ」
この「イメージ」という言葉に対する「イメージ」、
けっこう変化があるんですよね。
イメージとは良いものか、悪いものか。
私はとても大切に思っているのですが
わりといいかげんに使われやすい言葉でもありますよね。
デザインのお仕事をしていると
「特に指示はないんで、適当に2〜3案デザインだして」
なんていう依頼がくることがあります。
で、まぁ「適当にってなによ」とイラっとしつつも何案が提出するんです。
そしたら「あ〜ちょっとイメージと違うかもしれない」なんて言われる。
なんじゃそりゃ。
言っていること、わからないことはないんです。
「最初に確立したイメージが全く持てていない。」
「多少なりイメージがあってもそれを伝えられない。」
「好き嫌いはある」
この人は、そんなところなのだろうと。
でも、こんなことの繰り返しだと
指示する側はなんとな〜くな自分の好き嫌いでしか判断ができず、
デザイナーは「適当に」しかやる気がなくなる。
悪循環なんですけどねぇ。まったく。プンプン。
もちろん、私の力不足ではあるんでしょうけど・・・
何にも考えてないのに、何にも調べてないのに、薄っぺらい感性で
イメージとか言うなぁぁーーーー!
えー・・・愚痴から始まってしまいましたが・・・
意味を見ていきましょう。
1番。
「心の中に思い浮かべる像」「全体的な印象」「心象」
この意味で使われることが多いですかね。
何かを行う時にまず、心の中でどこに向かうのかをイメージすることって
とっても大事です。
もちろん、イメージどおりになんかならなくてもイイんですけど。
「思い描くこと」は、前へ進むための第一歩なんじゃないかと思います。
そして、この心の中でいろいろ「思い描くという行為」は
自分自身の幅を広げてくれると思うんです。
思い浮かべているだけで全く行動にうつせないというのも
なかなか哀しいことではありますが、
思い浮かべることすらできないというのは
これまた哀しいこと。
「行動にうつせること」ってのはわりと限られていたりもします。
でも、「思い浮かべること」に限りなんてないですからね。
そういう話をしていると
「マイナスのイメージばかり思い浮かんで動けない」というのを
聞くことがあります。
この「マイナスのイメージ」、これもまた大事だと思うんですよね。
最近、特に思う。
「プラスのイメージ」をしっかり持っている人はステキです。
でも、「プラスのイメージ」だけで、
「マイナスのイメージ」を理解できていないと
気づかずに人を傷つけてしまうものなんですよね。
負の部分って、誰にでもある、と思うんです。
それをイメージすることができるかどうかってのは
人とつき合って行く上で、
けっこう大きな部分を締めているんじゃないかなぁ。
あ、この「全体的な印象」ってのも興味深いですよね。
大して理解していなくとも、
「この人はこういうイメージ」
「この会社はこういうイメージ」というものを
なんとなく作り上げて持っているものです。
こうやってblogなんかをやっていると
会ったことのない人なんかに
どんな風にイメージされているのかって
ちょっと興味深いですよね(笑)
就職活動をしている時に、
自己分析ついでにいろんな人に
「私ってどんなイメージ?」「私ってどんな人だと思ってる?」
って聞いてまわったことがあります。
これ、なかなか面白かったですよ。
「あなたはこういうイメージです!」というのが浮かんだ方、
ぜひぜひおしえてくださいませ。
2番。
「姿」「形象」「映像」
これって、不思議ですよね。
心象と形象が同じ「イメージ」という言葉で表されるって。
でも、わりと平気で使っています。
「イメージ図」「イメージ画像」「イメージ映像」なんて。
でもやっぱり、ちょっと実体がない感じはしますかねぇ。
でも、対幻想、共同幻想をつくりあげるために
けっこう重要な役割りをもっているようにも思えます。
やっぱり、見えている像ってのは強いですからね。
この意味でのイメージがあることで
1番の意味でのイメージの方向性が
ガッチリ決まってしまうなんてこと
あるような気がします。
このイメージがあることで
同じ方向に向かえるというメリットと、
このイメージがあることで
他が見えなくなってしまうというデメリットと、
両方を抱えていますよね。
イメージ、
簡単に使ってしまう言葉かもしれませんが
なかなか奥深いもののように思えました。
もうちょっと大事に使おっと。
えーっと明日は
最初の愚痴の中で「適当にってなによ!」って私言ってたのでね(笑)
「適当」で。