「自然」
いやー今回は一段と字が荒れてますねー
昨日は会社帰りに
映画で見逃して悔やんでいた
「南極料理人」のDVDを借りて帰り、
おうちにあった食材たちで夕食を作り。
パスタだったんでね、
ワインなんか飲んだりしつつDVDを見、
話の中頃あたりで一時停止して
夕食後の片付けなんかをひととおりして、
残りをビール片手にのんびり鑑賞。
「あぁ、面白かったね♪
ちょっとラーメン食べたくなったよね。
伊勢エビの海老フライもいいねぇ。おむすびがまた美味しそうだったね。
いやーどれも美味しそうだったよ。
しかし、おっちゃんたち、中高生男子みたいになってたね。
はー良い映画だったよ。うんうん。さぁそろそろ寝ようか」
とまぁ、そんな感じから「よっこらせ」と開いた広辞苑。
あぁ、文字がいっぱい・・・
ぐだぐだ文句を言いながらも
「私ってば飲んだ後でも字が書ける人間でよかったよね。
まぁ、そもそも飲まない人間であった方がよかったかもね。
あはははは。」
なんて同居人に向かって言いながら書き上げました。
字・・・まともに書けてないし・・・
はーぁ。
そうそう、「自然」でしたね「自然」。はい。
字が荒れてて読みにくいんでね、
さらっと行きましょ。さらっと。
えー
1番のア:人為の加わらない天然のまんま。
1番のイ:ひとりでに。
2番のア:人が作って成り立った文化に対して、神が作って成り立った状態。
2番のイ:本質。本性。
2番のウ:人類が生まれ、生活してきた場。森羅万象。
2番のエ:物体界とその諸現象。
2番のオ:普遍性・反復性・法則性・必然性の立場から見た世界。
2番のカ:因果的必然の世界。
3番のア:万一。
3番のイ:もし。ひょっとして。
うーん・・・
3番の意味では、使っていないかなぁ。
1番2番はどれもわかるんですけどねぇ。
とはいえ、
最近、この「自然」ってものが
よくわからなくなって来ていますねぇ。
森羅万象を「自然だ」と言ってしまえば
どんなことでも自然に含ませちゃうことができますが・・・
なんだかねぇ。
世の中、不自然なものが多すぎる。
木々や草花に囲まれ、小川が流れるキレイな公園。
植物たちをや流れる水なんかを見ると
「自然っていいなぁ〜」
ついね、そう言っちゃったりもするんですが・・・
人為的に整備され、人為的に植えられた木々や草花、
強引に水を引いてきて作られた妙に小綺麗な小川。
もちろん、そこから生まれる自然もあるにはあると思います。
やって来た虫が卵を生んだり。
植えられた草花が種をつけてまたそこに新しい命を芽吹いたり・・・
でもね、普遍性のある世界ではないよね。
やはりどこか、偏っていたりする。
自然を見せるために、
自然に見せるために、
多くの人がさまざまな方法で手をつくしています。
「人為的につくられた自然」があふれています。
現在の私のお肌も
「人為的につくられた肌の色」で覆われています(笑)
なにが自然か。
ホントにね、判断の難しい世の中になりましたね。
自然への憧れが
自然らしきものを人為的に作り出すことになるなんて、
変な話ではあるものの、
憧れを現実にするために手をつくすということは
人間の本質として自然なことなのかもしれません。
自然と人との関係は
なかなか面白いものですよね。
自然は尊いもの。
しかし、人が足掻いてきた歴史も、
人が様々なものを作り出してきた文化も、
尊いもの。
相対するようなものが
共存している。
これは不自然に見えて、実はとても自然なことなのかもしれません。
オーストラリアの映画で「プリシラ」っていう
ドラァグ・クイーンを描いた作品があるんですけどね。
砂漠の大自然の中で
ものすごい奇抜な衣装で踊りながらリップシンクをするドラァグ・クイーン。
すーんごい不自然で、すーんごい自然なの。
あぁ、やっぱり人って難解で面白いっ!って感じますよ。
あら?いつのまにか「人」の方に重心が行っちゃってましたね。
ま、そこにある自然と、自然にこうなりましたという自然と
きっちり分けるなんて難しいのです。はい。
自然と人とを完全に分けて考えるのも難しいのです。はい。
あー
今日もグダグダですね。
えぇえぇ、これも自然なことよ。
毎日きっちりしたこと書けるなんて不自然だわっっ。
ということで、今日はこのへんで・・・
ここ最近、なんだか難しい言葉が続いてますね。
明日は「難しい」を調べてみようかな。