「続ける」
昨日の「続く」との違いは
やはり「意志がある」というところでしょうかね。
勝手に続いてくれるわけではなく「続ける」。
昨日間違えといてこう言うのもなんですが・・・
ここ最近、気にしている言葉かもしれません。
1番と2番の意味、
私ちょっとごっちゃになっている部分があるんですが・・・
たぶん、年をとって「間」というものの捉え方が
ちょっと長くなってきているからかもしれません。
この2つの意味の違いは
子どものころの方が理解しやすかったかも。
例えばこのブログ。
「間を置かずに次の記事をupする」ことで
「切らずにつなげている」つもりです。
でも、「間を置かずに」とは言え、
1日1つなので24時間という間は置いているわけで・・・
大人になると24時間なんてあっという間なんです。
だから「切れている」とも思わない。
だけど、子どものころの24時間って
なかなか長かったと思うんですよね〜
毎日するということ、毎週するということなどについて
「続けている」という意識はあったと思うのですが
「繋がっている」とは思っていなかった気がします。
毎回、何かしらの区切りのようなものを感じていたような気がします。
朝の朝礼、1時間目の国語、休み時間のドッジボール、
2時間目の算数、休み時間の教室移動、3時間目の理科、
休み時間の教室移動に着替え、4時間目の体育、
給食の配膳があって、給食を食べて、休み時間は缶蹴りをして・・・
1つ1つの時間が
とても長かったように思います。
今、ちょっとぼーっとしてると
2時間3時間なんかす〜ぐにすぎちゃいますもん(笑)
困ったもんです。
でも、「続ける」ということに寛大になったような気はしますよね。
「毎日やるぞ!」と決めたこと、
ある日するのを忘れていたとする。できなかったとする。
「あぁダメだぁ〜『毎日』じゃなくなっちゃったーもうヤメだぁー」
なんて、思わないもの。
「ま、また明日からやればいいや。ちょっと休んだだけ。
やめたわけじゃないしぃ。」
なんだかえらいユルんじゃったもんだとも思いますが、
おかげで「続ける」ことができているもの、
わりとあるんじゃないかなぁ。
このブログも「ホントに辛くなったら休めばいい」くらいで
やっているので、続いているんだと思います。
展覧会を見に行くこと、というのも
「行けないものは行けない」「時間がない」「お金がない」etc・・・
いろいろあきらめなきゃならないことは多いです。
去年なんかは
ホンっっトに少ししか行けなかったんですけど・・・
「行きたいなぁ〜」を常に持ちつつ、
「行ける時に行けばいい」
そんな気持ちでこれからも続けていけると思っています。
そうそう、友達との繋がりも、
年賀状だけになっちゃってたり、なかなか連絡をとれなかったり、
会える時間をつくることができなかったり・・・
それでも、ちっちゃな繋がりをやめさえしなければ
ずっと友達を続けていけると思っています。
あまりマジメになりすぎないことが
実は「続ける」コツなのかもしれません。
さて明日は、
1番の意味の中にもある「つなぐ」で行ってみようと思います。