「苦しい」
ホントねぇ、ほろ酔いで書き写す文字の量じゃないですよ。
久しぶりに外で飲んで帰って来て
機嫌良く広辞苑を開いたら・・・
説明ながっっっ!
しかも途中で「スペース足りない」と思ったようで
行間つめつめですし・・・
見苦しくてスミマセン・・・はい。
苦しい、書きながら「こんなにいろんな意味があるの?」
と思ったのですが、
どれもよく使いますね。
しいていえば
3番の「心配である」というのは
2番の「せつない」と同じ感覚でとらえていたかなぁ。
誰かのことが心配で苦しい時って、
「心配」=「苦しい」じゃなくて、
「心配なのになにも私はできない」=「苦しい」
なんですよね。
2番でいう「心が苦しい」というのは
やっぱり大人になってからの方が増えましたかねぇ。
もちろん小さいころもたくさんあったのですが、
苦しさの深みが違いますわね。
いろんなことに気づくようになって、
いろんなことがわかってきて、
いろんなことと関わるようになってきて、
「楽しい」も増えたけど、「苦しい」もやっぱり
追随して増えている気がします。
やっぱりね、「楽あれば苦あり」なんですね。
1番でいう「身体が苦しい」。
これはどうでしょう?
ふと浮かぶのは
ねんざしてるの隠して陸上の大会にでたときとか、
真夏の部活で吐きながらも走っていたときとかが
わかりやすく思い浮かぶんですけどね。
ありゃ苦しかったなぁ〜
あの苦しさはもうないですね。
だってやらないもん。そんなムリ。
しかし!そんな苦しさがなくなった今日、
肩こりだとか腰痛だとか胃痛だとか・・・
そんな苦しさがやってまいりました(笑)
「身体の苦しい」も、なかなかなくなってはくれないものです。
4番から6番については
大人になってから使うようになった気がします。
ちょっとごまかしているような使い方ですもんね。
子どものころなら
「イヤだ」「できない」「難しい」「足りない」と
はっきり言えたものが、
「苦しい」なんていう言葉にしちゃってるってな部分がありますものね。
まぁ、ホントに「断るのが苦しい〜」というような時もありますが
「苦しい」ふりだったりもするのが大人の悲しいところです。
7番はついさっき使いましたね。
「見苦しい」って。
「見苦しい」
あまり言われたくない言葉ですが、
「見苦しい」か「見苦しくない」かというのは
いちいち考えておくべきだなぁと
最近よく思います。
服装にしても、行いにしても、
「美しい」というまではいかなくても
「見苦しくない」程度にしたいなぁと思うんです。
それを気をつけるには
「見苦しい」ということがちゃんと判断できなきゃならない。
説教臭くてイヤですが、
未だにタバコをポイ捨てする人をよく見かけます。
その行為、見苦しいんだってこと
気づいていないんでしょうか?!
信じられない。
道を占領しておしゃべりしている学生さんたち、
見苦しいんだってこと
気づいていないんでしょうか?!
なんともね、心苦しいです。はい。
おまえには関係ないと思っているのでしょうが、
見ている人を苦しめているんだぞー
私は苦しいんだぞー
わかってちょうだいよ。
苦しいこと、苦しむことは
悪いことばかりじゃないんだけど、
「無駄な苦しい」はなんとか減らしていきたいものですよね。
なるべくなるべく
人を苦しめないように生きていきたいですわね。
やさしくありたいものです。
というわけで
次は「やさしい」を調べてみましょう。