「知る」
思いのほか説明が長くて驚きました。
ほろ酔いで書くにはなかなかくたびれる長さです。
はい。
さて
1番の「理解する」ことと、3番の「存在を認める」こととが
同じ「知る」であることは
以前から気になっていたのですが、
4番や6番の意味は
使いつつもあまり意識して意味をとらえていなかったなぁ。
5番の「経験する」というのも
1番と同じようにとらえていたかもしれません。
「知ってるよ」
わりと簡単に言っちゃうんですよね。
でも、ほとんどの場合、3番の意味での
「存在を認めている」にすぎなかったりします。
1番の意味での「知っている」を
自信を持って言えることって・・・
実はあんまりない。
ある程度はね、理解していることって
あるんですけど・・・
「わきまえる」「悟る」まではなかなか・・・
今年の9月いっぱいまで1年間やっていた
「今日のHappy Birthday!」を書いていた時は、
ホントによく思いましたね。
「今まで知ったかぶりしててゴメンナサイ」と。
好きなアーティストさんで
いろんな作品を見たことがあって
「知ってるよ。あのアーティストはこういう作品を作っているんだよ〜」
なんて、エラそうに説明なんかしちゃっていても、
どんな経歴の人であるかも知らないし、
どんな性格の方だったかも知らないし、
声も聞いたことがないし、
よく考えると顔もまったく知らなかったりする。
そう、知らないことの方がうーんと多いんです。
たとえ親であっても、親友であっても、一緒に暮らしている人であっても、
知らないことだらけです。
ま、全部知ってるなんて、完全に理解しているなんて、
つまんないですけどね(笑)
それでも、少しでもたくさん知りたいと思って
人とも物事ともつき合っているんですよね。
面白いものです。
これからは
「知ってるよ。まだ途中だけど。」
って言おうかな。
(めんどくさいのでたぶん言わない・・・)
とにかく、
「知る」のはやっぱりステキなこと。
知らなくてイイことなんて、たぶんないと思う。
知ることでたとえ辛い思いをしたとしても、
やっぱり私は知りたいです。
あ、でも「知る」ために、誰かを傷つけちゃなりませんよ。
「知る」欲求にも、歯止めは必要なのである。
うむ。
さて明日は、
「知る」ために重要なポジションをほこっているであろう
「経験」を調べてみたいと思います。
百聞は一見にしかず。