「自由」の説明、ながっっっ。
昨夜、少々のビールをいただき、
化粧も落とし、コンタクトレンズもはずし、
ぼんやり視界のまま
のんびりと広辞苑をひらいて驚きました。
え、こんなに文字かかなきゃなの?
「自由」という言葉を選んだがために
なんだか自由を奪われてしまった感じになったわけですが・・・
「自由」を知るためだ・・・しょうがない。
「自由」
1番の意味で書かれている
「心のまま」「思う通り」「自在」「勝手気まま」というのは
なんとなく思っていたことなのですが、
2番で書かれているのを読めば読むほど
「自由」はなんだか「自由」じゃない・・・
「自由は一定の前提条件の上で成立しているから、
無条件的な絶対の自由は人間にはない。」
「自由は、自然・社会の法則の認識を通じて
実現される。」
「人間はその存在構造から本来的に自由であり、
したがって常に未来の選択へと強いられており、
それ故自由は重荷となる。」
「自由」という言葉だけをひろうと、
なーんとなく
イラストに描いたような
開放された気分で「なんでもできる」「どこでも行ける」
みたいなふわぁ〜っとしたイメージを思い描いちゃうのですが・・・
実際は、
いろーんな条件の中、制限の中での「自由」であったり、
「自由」であるがために
責任が重くのしかかったりと、
あまりのんきなものではないんですよね。
「自らを由とする」と
漢字のままにとらえるならば、
自分自身をよりどころとするってこと。
自分があってこその、自由、なんです。
自身がしっかりしていないと、自由なんてないわけです。
「子どもは自由だなぁ〜」なんて言葉を聞くと
私はとても疑問に感じます。
子どものころ、
いろ〜んなことをさせてもらってはいたものの、
なんて不自由だったんだろうって思っちゃうから。
いろんなことを知らないだけに、
かなり高い塀の中で
「自由」な気にさせられていたんだなぁ〜って
今の年になって改めて気づかされます。
まったくもって
「子どもに戻りたい」なんて思いませんね。
もちろん、「あの時こうしておけば」とか
「もっとこういう勉強をしておけば」なんて後悔はあるし、
「あのころはよかったな〜」なんて思うこともたくさんあるのですが
戻るのはイヤですねぇ。
自由がないもの。
一応優等生をしていた私は学校なんかで
「あれをさせてもらうためには、ここでこうしておかなきゃ」
みたいなことをマジメに考えて行動する
今思うとなんだかかわいげのない子だったように思います。
それでまた誉められちゃうんですけどね、いつも。
だから、これで間違えてはいない!と
考えていたわけです。はい。
だけど、父親にだけ
「なんでユキちゃんはそんなに作り笑いをするの?」
って聞かれたことがありました。
小学校の3〜4年生のころだったかしら?
他の人にはバレなかったのに(笑)
バツの悪い思いをしたのをやけに覚えています。
ちょっとでもたくさんの自由をもらうために
ものすごく不自由な中で
妙に頑張って生きていたような気がします。
それを考えると、今、けっこう自由なのかなぁ。
もちろん
あのころ以上に責任やら制限やらは
目に見えてあるわけですが・・・
あのころどうにもならなかったことを
「なんとかしちゃう」ことが
今ならできる、
可能性があるように思えます。
そもそも
すべて思い通りになるなんてこと、
ありえないんですけどね。はい。
それをわかった上で、
さまざまな形で存在する「自由」を
楽しめればいいかなぁ。
先ほど「不自由」って言葉を使ったけど、
これって自由の逆、ってわけではないですよね?
単純に「自由ではない」だけではないですよね?
明日は「不自由」って言葉を
調べてみたいと思います。