今日は「森村泰昌」の誕生日です。
森村泰昌氏、
セルフポートレートで
さまざまな人や物になっちゃうことで有名な
現代美術作家さんです。
このブログでも
たびたび名前はでてきていると思います。
今日イラストにかいた「肖像・ゴッホ」は
森村氏が有名になるきっかけとなった作品。
もととなっているゴッホの自画像は
有名な「耳きり事件」の後、
そして死の前年に描かれたいわく付きの自画像です。
「あっ、自分の顔に似ている」
と、森村氏は
この絵を見たときに思ったのだそう。
そして
服を作り、帽子を作り、パイプをつくり、
湛然にメイクをほどこし、
耳に包帯を巻いて小道具たちを身につけ・・・
写真を撮ったのだそう。
これに気づいたのって
すごいですよね。
そしてホントにやっちゃったことも
すごいです。
「似てる」と思ったからって
こんなに徹底してやりませんもん。
しかも「タダのマネだ」と
言われるだろうことも容易に想像できますし。
しかし、森村氏はやったわけです。
そして続けたんですよね。
どれほど忠実にマネしても
やっぱりそこにはギャップが生じます。
ゴッホであり、やはり森村氏なのです。
この妙な狭間のような部分が
おもしろいんでしょうね。
そのへんの扱い方が
森村氏はかなり上手いんだと思います。
西洋美術史シリーズ、サイコボーグシリーズ、
女優シリーズ、ロス ヌエボス カプリチョスシリーズ、
フリーダカーロシリーズ・・・
フェルメールや日本美術史もしてましたね。
報道写真をテーマにしたものもありました。
どれも
単純に「なる」ことを目指しているようでいて
全然単純じゃないものが見えてきます。
なんだろうなぁ・・・
画面の中に別人として立つということが
不思議なのか、
別人になりながらも差異を残しているあたりに
感情移入してしまうのか。
自分がなるとしたら?と
想像してしまっているのか。
とにかく
「あの人のマネをしたのね」
では済まされないなにかをつくりだしています。
おもしろいですねぇ。
今日、
「ゴッホが鏡を見て描いた自画像」を
「森村氏が見てなりきって撮った写真」を
「印刷物として本に掲載したもの」を
私がまた見て描いている・・・
というのが
なんとも変〜な気持ちになりました。
「私は何を見て、何を描いているんだ?」って。
しかもこれを
また見る人がいるわけですよね。
だんだん変化して認知されていくってのが
またヘンテコですね。